★Gallery Note


2009・6・26(金)

 オードリーカワサキの事を知ったのは、ロサンゼルスに住む古くからの友人のメールからだった。
 ロスの行きつけの居酒屋でオードリーの作品を初めて見た友人は、彼女の絵の魅力に打ちのめされた。早速オーナーに誰の絵なのかと尋ねると、作家はオーナーの娘だと言う。彼女はまだ20代半ばの若い女性である事、最近急激に人気が過熱し始め展覧会に出す前から作品が売れてしまう事等、オードリーの母親から告げられた事がメールに綴られていた。そして、いつかスペースユイで展覧会を開く様紹介したい・・・、とメールは結ばれていた。
 友人のメールが初めて届いたのが正確にはいつだったのか忘れてしまったのだが、オードリーの個展はこの五月、意外に早くに実現した。天賦の才能と努力する才能とを合わせ持った若きアーティストの素晴らしい展覧会だった。オードリー旋風が世界中から吹き寄せたが、六月に入ってからは少しずつ収束に向い、最近私達スタッフもやっと通常の時間の流れに戻る事ができつつある。
 オードリーカワサキの展覧会は、今までの全ての展覧会と違った様相をしていた。インターネット時代の申し子の様なアーティストなのだ。彼女のホームページは、制作風景等も含めとてもオープンに情報が提示されている。丁寧に作られているホームページは、彼女のファンにとってはとても嬉しい情報ソースなのではないだろうか。世界中に存在するオードリーのファンは瞬時に彼女の動向を知る事が出来る。日本での個展についても、彼女のホームページでインフォメーションを出されてからというもの、世界中から問い合わせや作品予約についてのメールが届き始めた。この一年間というもの、オードリー関係のメールが届かなかった日はないのではないだろうか。
 実際の作品を目にしてみると、そのグレードの高さに驚かされる。元々彼女のデッサン力、構築力には定評があったが、油絵の具を面相筆の様に細い筆で丁寧に書き込み表現されている作品からは、マンガの様式を借りて作り上げた普遍的な叙情性といった感覚が立ち上る。また、時には、咀嚼し彼女自身のものとしたアールヌーボー様式のエッセンスを取り入ながら、絶妙なバランスの作品として纏め上げる手腕は見事なものである。
 オードリー自身はシャイな素敵に可愛らしい日本の女の子という印象で、話す日本語も全くネイティブなものだった。ある日、雑誌を眺めているオードリーに、面白い?と尋ねたら、何が書いてあるか理解出来ないと言っていた。その時には何気ない会話と思っていたけれど、後にふと、浮んだ思いがあった。
 日系二世としてロサンゼルスで生れ育った彼女の血脈は全く日本人だけれども、アメリカ人としての生活感覚で生きている訳で、彼女の作品の中の少女達の表情が一様にメランコリックに見えるのは、そういった背景が無関係ではないのかも知れない。
 私自身がそうした事柄や人々に詳しい訳でもなく、無責任な言動は避けたいが、オードリーの作品や彼女自身の印象から、最良の意味での日本的なものを感じなかったら、そんな思いは浮ばなかったに違いない。
 オードリーカワサキの作品には、時代の波に乗りつつ、人々の心の中に強く共振される名状し難いセンチメンタルな感情を引き起こす普遍的なパワーがあるのだ。ワールドワイドに多くの人々を魅きつけるオードリーカワサキの人気が示された今回の展覧会は、正に驚異的な現象であった。



2009・6・22(土)

まず、「北沢夕芸」というきれいな名前のイラストレーターが、実は男性という事に皆驚かされる。
 北沢さんの作品からは、アイロニーとキュートな感覚が絶妙に融合された独特な世界観が伝わって来る。タッチもひじょうに絵画的な風合いで、画面からは不思議な奇妙な気配と共に、彼の力量から生じる空間の奥行きを感じさせられる。
 今回は一点一点の作品が独立していて、ひとつの作品の画面の中には完結した物語が内包されている。何か事件が起きていたりして、特殊なシチュエーションが多いのだが、どの様に感じるかは、全く見る側に委ねられているのだ。
 作品に登場する人物も動物たちも表情豊かに、いわくありげな風情をしており、一体画面の中で何が起っているのだろうかと、こんなにイマジネーションを膨らまされる作品もめずらしいのではないだろうか。
 深い森の中や暗い夜の郊外の闇の描写などが、何かを伝えている筈なのに、定かには掴めない感覚に、もどかしくも興味を引かれるのだ。
 北沢さんの作品に興味を持ち、次回を期待する人はとても多い。



2009・5・23(土)

  岡山県のガレリア・プントというギャラリーの薮多門さんと親しくさせて頂いている。
 薮さんのギャラリーは主に現代美術を取り扱うギャラリーだ。横尾美美さんやスズキコージさん等、スペースユイで展覧会を開催した事のある作家が共通している事もあり、親しくさせいただいている。
 ガレリア・プントはまた、備前焼や信楽焼などの陶芸作品や工芸の作品も多く扱っている。
 日々身の回りにあり、日常不可欠な「器」という物に、まるで興味のない人はいないと思う。できたら、納得のいく丈夫な美しい物がそばにあったら嬉しいものである。いつか、スペースユイでも良い作家さんの陶芸作品を発表してみたい、と常日頃から思い続けていた。
 しかし、いくらギャラリーで取り扱いたくても、まるで未知の分野で情報もなく、どうして良いのかわからなかった。そんな時、まるで千里眼の様に岡山の藪さんから連絡があり、ひじょうに良い作品を作る陶芸作家を紹介したい、というお話があったのだ。備前焼の陶器は岡山県が本拠地であり、陶芸関連の確かな情報をお持ちなのだった。
 上田光春さんは茶器を主に作っていらっしゃり、特定のファンの方々をしっかりと持っておられる。スペースユイの顧客の方々で茶道をたしなむ方は多くないので、上田さんに申し訳なく思っているのだが、それでも上田さんの作品を愛好する方は着実に増えている。備前より少し柔らかな感じの上田さんの作る信楽焼の陶器は、使い勝手も良くひじょうに大人の感じがして心地よい。私は茶器ではなく片口や皿といった食器を使っているのだが、土のテクスチュアが脳みそに気持よく感じられるのだ。すごいナ、と思う。かたい陶器なのに柔らかな感じでシンプルで渋い大人っぽい魅力があるのである。
 また、上田さんはその名前の様な方だ。まるで春の光の様に明るく暖かな人柄は、多くの人の心に優しく触れる。作品とともに上田さん自身の個性も人に優しく伝わるのが感じられる。
 「僕は人柄が良い人としか仕事をしたくない」と常々おっしゃっておられる薮さんだが、ご紹介して下さる作家さんたちは、本当に暖かな良い性格の方ばかりである。

 
 仁後真理子さんの描く動物たちは、本当に人気者だ。
 きりっと清々しい印象の仁後さんだが、作品の彼らは何とも味わいのある表情を見せ、笑わせてくれるのだ。ご本人と動物たちがあまりにもかけはなれていて、余計に人々の興味を誘うのかもしれない。
 絵の中で、動物たちはひとりひとりが堂々としていて、皆主役級の存在感である。可愛らしくキュートだけれども、ちょっと悪さもしそうな風情が微妙にミックスされて魅力的なのだ。
 こんな動物たちだから、愛されるのも当然かも知れない。数回目の個展開催になるが、仁後さんの会期は、仕事の関係の方々も含め、画廊を訪れて下さる方がひじょうに多い。
 仁後さんは、イラストレーションや絵本等の業界の情報を必死に集めるタイプの方ではないので、ご自分ではよくわからない様なのだが、最初の個展から福音館書店の絵本の仕事が入り、ずっとコンスタントな絵本の発表が続きそうである。力があるからこその結果だが、幸福なスタートであると思う。



2009・4・6(月)

 京都の梅田美代子さんが画廊を訪れたのは、1988年の春の事だった。
 梅田さんは、一年先の三月に個展開催を約束されたが、五月に画廊が移転するという事が突然決ってしまったのだった。それから数ヶ月後の九月に新しいスペースユイが誕生する事になる。
 小さなスペースでの作品の展示を予定していたのが、一挙に四倍の広さにになってしまうのだから、梅田さんのみならず、多くの方々を慌てさせてしまう事となってしまった。
 大家さんの早川さんはひじょうに好意的な方で、地価の高いこの界隈だが、様々な面でご配慮いただきながら、比較的画廊としてはゆとりのあるスペースで運営する事が可能となったのだった。
 そんな時期、梅田さんの事が特に印象的だったのは、新しい移転先の画廊を京都から見に来て下さった事があるからだ。まだ内装工事も始まったばかりで、雰囲気もつかみづらかったのではないかと思ったが、二人でほこりだらけの現場を見に行った事がなつかしい。
 その時、すでに梅田さんは京都造形芸術大学の助教授だったが、とても京都の方らしい優雅な方だな、という印象で、それは今でも変らない。
 梅田さんの銅版画は色彩鮮やかで、繊細な美しさが感動的だった。それまで銅版画というと、単色系のイメージが強かったが、梅田さんの作品は全く銅版画に抱いていたイメージと違っていた。
 それから毎年のように大学の仕事の都合、三月に開催される梅田さんの展覧会は、西方からの春の訪れを告げるものだった。
 豊かな女性の裸像がモチーフ、という梅田さんの作品スタイルはずっと変らない。しかし、今は大学の新設学科の教授になられた梅田さんに対して僭越な言い方だが、徐々に徐々にと、確実に技術が研ぎ澄まされている事がわかるのだ。
 京都という日本の宝物をたくさん抱えた都市、その都市そのものが日本の宝物のようなものと思う。京都の人は、プライドが高く表裏がある、と聞く事があるが、私の知る限り、全くその逆だ。 皆とてもざっくばらんで、しかも京都の深い何かが身体に染み着いているとしか思えないあらがい難い不思議な力を持っている方が多いのである。 梅田さんをきっかけとして、教え子の方々ともご縁が出来る等、京都の方の個展開催の人数比率がスペースユイは異常に高いのだ。
 その筆頭である梅田さんの作品は、優美そのものである。豊かな白い肌の女性は天上界の存在、神話の女神の様にも見えるが、なかなかお茶目な所もあり、動物や魚と戯れたりして人間界を優しく見つめてくれている。 
 今年の作品は、優雅さに力強さが加わった様に思える。女性が舞う様な姿でポーズをとる画面からは、優美な印象と共に何か大らかなエネルギーといった感覚が伝わって来るのだ。そして、表現技法はとても繊細なのだから、魅力的なことこの上ないのである。

 木版画というのは、ペインティングやドローイングの様に筆等で直接表現するものではないことから、技術を修得すると独特の風合いが生まれて来るのかも知れない。
 また、シナベニヤの表面を彫刻刀で削る作業は、色彩の数だけ重ねて行わなければならない。彫り上がったらそれを刷るという仕事が待ち構えている。たいへんな仕事である。実際の力技も精神的な忍耐力も必要な作業だと思う。
 しかし、坂本佳与子さんの作品を見ていると、彫刻刀で彫られたラインが明るい色彩を伴って、楽しさがリズミカルに伝わって来る。まるで彫刻刀が絵筆になった様に軽快な感覚を覚える。触覚的なものが包含された視覚的な刺激がとても心地よく感じられるのだ。
 木版画なのにこの様に自由に彫刻刀を使いこなした作品を拝見していると、今までの坂本さんの地道な修練が想像される。スリムで清々しい様子の坂本さんだが、実は右手の腕力はとても強いらしい。
 また、作品の色彩もフォルムもオリジナリティ溢れる感覚がフレッシュだ。国籍も様式もどこかにある様な、どこにも存在しない様な、不思議なセンスが魅力的である。

 政岡勢津子さんがデザインしたキャラクターグッズやファブリック、可愛らしい小物等は、グラハム八千代さんが経営する代官山のカーリーコレクションというショップで販売されている。お二人が企画している商品の数々を紹介、展示販売する展覧会を三年間続けている。
 お二人がいとこ同士ということもあり、絶妙なコンビネーションで次から次へと生み出される新しい商品は、女性達の間で今、たいへんなブームが巻き起こっているのだ。 政岡さんはデスクでデザイン画を描き続け、グラハムさんは素材調達や制作の為、世界を駆け回っておられる。
 そうして作られ店に並べられた品物はすぐに売り切れてしまい、最近は恒常的に品薄であるという事だ。ネット販売もしているが、注文が殺到し、炎上してしまう事もあるので、期間を限定してしか、ホームページには載せられないのだそうだ。 人気があるのは嬉しい事に違いないが、少し過熱気味な現象に、政岡さん達も戸惑いを覚えておられる様だ。
 しかし、百年に一度の不景気等と言われているこの様な時代に、たいした事と思う。
 政岡さんは、1986年にスペースユイでデビューしてから、ずっとイラストレーション関連の仕事を続けられている。長いお付き合いをさせていただいているが、政岡さんのさりげなく愛情深い人柄にはいつも心打たれる。作られるグッズにもそうした優しさが込められていることを、皆が感じて、今、ブームになっていると思うのだ。
 柄に似合わないが、自分でもいくつかカーリーコレクションの物を持っている。ふわふわの可愛らしいキャラクター人形と目が合ってしまうと、もう降参!という感じなのだ。このお店の物に中毒症状を起こす人が時々いるという事を聞き、今回の展覧会でもそういった方々を垣間見たが、普段はシックな大人っぽい感じの方も多いのである。
 ハートをテーマにした展覧会を始められた頃から、徐々に人気を博し、ある展覧会の時には新宿に本拠地のある大きなデパート2件から同時に、クリスマスイベントのポスターの依頼があり、困ってしまった事があった。贅沢な悩みで政岡さんも私も頭を悩ませてしまった事を思い出す。
 年月の中で、表現形態は変化しているが、政岡さんの暖かさが沢山の人々に届けられ伝搬されるという、現在の様な商品デザインの仕事は、とても政岡さんに合っていて素敵な形態、と思う。
 それにしても、ハートや花等のモチーフをやや抽象的にデザインし、華やかな色彩でイラストレーションを描いていらした政岡さんが、こんなに可愛らしい女の子やクマやウサギ等のキャラクターを創造するなんて思いも及ばない事だった。そしてこれらの新しく生まれた子供達や動物たちと、ご自分本来の作品とを何ら矛盾なく表現する政岡さんは、今とても生き生きと充実の日々を送っておられる。


2009・3・14(土)

 キッタヨーコさんの作品を今まで、力強く綺麗だなと思いながら、さり気なく見ていたのだけれど、突然にガラス作品を制作する事のたいへんさに思いが及んだ。
 ガラスの作品は、陶芸の様に素材を直に手で造型する、という訳にはいかない。作品の制作は、 鉄のパイプの先に巻き付けた熱で解けた高温のガラスを吹くという作業から始まる。灼熱の環境での作業である。
1500度という温度の熱を相手にしなければならない仕事は、生半可な気持ちではできない事と思う。体力も気力も費やす仕事なのだ。
 また、展覧会の搬入時にはまるで引っ越しの時の様に、厳重に梱包された多くの作品の荷解きから始まる。台の上にディスプレイするだけの作品の場合は比較的楽な作業であるが、照明器具や、天井から吊るすタイプの作品等の場合などとても時間と労力が掛かる。アートワーク以外にも掛かる時間がひじょうに多い事も気になる。
 前向きな希望の息吹を感じさせられるキッタさんご自身の個性と、キッタさんのパワフルな美しい作品は人気で、様々なギャラリーや美術館からオファーが絶えない。キッタさんの作品の持つ独自な魅力を評価する人は多く、新しい作品への期待度も高いのだ。
 キッタさんが消耗し過ぎない様、いつまでも素敵な作品を作り続けて下さる様、応援させていただきたい、とずっと思っている。

 
 常永美弥さんは大阪からいらして、スペースユイでは初めての個展開催だった。もう既にご活躍なさっている方だが、東京は本拠地ではないので、沢山の方々にいらしていただけるだろうかと、心配していた。最近は遠くの方が多く展覧会を開催して下さっていて、むしろ東京近辺に在住の方々より多いくらいだが、初めて、ということで心配していたのだったが、全くの杞憂だった。
 常永さんの暖かなほわっとした作風は、現代を生きている人々の心を優しい気持ちにさせてくれる。ふんわり優しいが、デジタルな感覚も加わり若々しい。
 ご本人の個性も作品と同じ様に、ほわっとしていて可愛らしい。
 絵本の編集者、装幀のデザイナー、近くのデザイン事務所の方々、と毎日多数の仕事関係の方にいらして頂いている。
 イラストレーションという仕事を通して、常永さんの作品を多くの人の手にそっと手渡して行ったら、人々の周りの空気も和らぐ事だろう。そしてそんな仕事は、誰にでも出来る事ではないと思うのだ。


2009・2・27(金)

  本橋成一さんの展覧会をやっと実現する事ができた。
 本橋さんの意義深いお仕事とその人柄に触れて、ずっといつかいっしょにお仕事をさせて頂きたい、と思い続けてきた。
 チェルノブイリの事故の後に撮られた二本の映画や、作家の池澤夏樹さんとイラク戦争開戦直前に現地に入り文章と写真で人々の暮らしを綴った「イラクの小さな橋を渡って」という書籍等の本橋さんの作品は、決して声高に叫んでいるものではないが、静かに優しく現実の不条理な矛盾を訴える記録である。
 今回の展覧会は、アフリカの西に位置するセネガルの奥地が舞台の映画「バオバブの記憶」を記念した作品展である。映画を撮りながら、本橋さんが写真家として丁寧に撮って来られた写真を銀塩プリントした貴重な作品の展覧会だ。個々のバオバブがアフリカの大地にすくっと立っている姿をモノクロームに手焼きプリントされた作品は、とても端正である。そしてそれらの一本一本の樹は、人間の様に個性や人格を持ち、話しかけて来る様に感じられるのだ。
 五百年も千年も生き続けているバオバブは、人々の暮らしの中で葉や幹の皮等実際に役立つものとしての存在であるのと同時に、神秘的な聖なる存在としても君臨している。
 バオバブの群生するこの村の、ひとりの少年を主人公にした映画の中で営まれる人々の生活は、多分五百年前でも千年前でも基本的には変らなかったのではないか、と思わせる。大家族の中で暮す少年は、日々の仕事を担うため、思う様に学校に行けないのだ。妹は通っているというのに・・。悲しげな少年の眼差しがとても切ない。
 この少年の先生がまた魅力的だ。この様な奥地の学校で、素晴らしいファッションセンスの美しい先生がフランス語の授業をしている。学校に来れない少年の事情を知っている先生は、丁寧に言葉を選びながら少年に学校の事も忘れないでね、と諭す。慈悲深い先生は、少年の家にノートをプレゼントしに訪れたりもするのだ。そして先生に憧れる少年の目を通してもう一つの先生の個性が映し出される。祭りの日、村の女達と一緒に野性的なダンスに興じる先生の姿をカメラは捉える。
 本橋さんの視線によって表現されたドキュメンタリーフィルムは、映画を見終わった後に心の中に静かにジワーッと印象が植え付けられる。「ナージャの村」、「アレクセイの泉」を見た後に味わった感慨でもあるのだが、本橋さんが描かれた主人公たちは、太古の時代から繰り返されている人々の営みを想い起こさせる神話の中の人物像なのだ・・・。ごく普通の人々である、という事と同時に・・・。
 そして長い私達人類の歴史の中で繰り返し起る理不尽な事故や出来事もまた、俯瞰して見つめたら矛盾を孕む神話的な物語なのかも知れない。その様なことを冷静な静かな視線で描く本橋さんの手法は、現代の叙事詩の様に感じられる。
 ずっとハードなお仕事を続けて来られた本橋さんであるが、実際に近くにいる本橋さんは本当に気さくな優しい方である。画廊に来られるお客様に対しても、老若男女、有名無名の全ての人に平等にあまねく人なつこく愛情を持って接しておられた。そんな本橋さんを見ていると、多くの方々に敬愛されている理由も当然の事に思える。
 本橋さんはまた、あのスズキコージ氏の兄貴的存在である。あの縦横無尽、天衣無縫なコージさんが、本橋さんの前ではちょっと可愛い弟分になっている感じが何とも面白い。オープニングパーティーの日、コージさんは生まれて初めてネクタイを締めて来た、と言っていた。そして赤いネクタイをして、おしゃれなジャケットを着たコージさんはちょっと普段と違う雰囲気を醸し出していた。
 自分でト音記号をデザインした金色に輝く大きなバッジを、嫌がる本橋さんの首元に強引にとめるコージさんを見ていたら、不思議な家族的な光景を見ている様な感慨を覚えた。


 
  1992年からほぼ毎年の様に個展を開催して下さっている民野宏之さんの作品は、ある意味で理想的な広がり方をしている様に思える。
 民野さんが描く油彩画は、自由に端正に表現されているが、イラストレーションという仕事の枠にも無理なくおさまり、装幀等の依頼が絶える事なく続いている。
 純粋な表現の中にもきっちりと時代性が捉えられている民野さんの作品は、現在を生きている人々の心に共感を呼び起こす力を持ち、社会へと浸透して行くのである。
 民野さんのデビューの年から彼の作品に触れていて、成長といったらおこがましいのだが、年々の変化をずっと見させて頂き、そして楽しませて頂いている。そして今年の民野さんの作品は、最近の社会の暗さを払拭する様に明るくきっぱりとして、鮮やかな色彩が人々の心をリフレッシュするかの様である。
 作品の持つ力と共に、何才になっても照れ屋で純粋な性格の民野さんの人柄に魅かれて、個展の会期中には多くの人が画廊へと訪れる。
 キャンバスからは、程よい緊張感が漂い、清潔な叙情性が立ち上り、私たちを心地よい感覚的な世界へと導いてくれるのである。
 民野さんは、まだ絵を発表し始めた頃、今もずっとお住いの札幌でスタンドバーを開いていた。カウンターだけの小さな店で、少しお金が貯まると店を閉めて絵を描き、お金が尽きるとまた店を開くという暮らしをしていたのだそうだ。
 札幌の、温度も湿度も低い清潔な空気の中での、民野さんのそんな暮らしを想像するとまるで小説の中の話の様に思えてしまう。村上春樹氏のとても若い頃の、小説の中の人の様だ。民野さんはビールを本当に美味しそうに注ぐ。朴訥な民野さんがお酒にまつわるいろいろな事をスマートに扱う術を心得ているのが何だかとても面白い。
 
  


2009・2・14(土)

 司馬かおりさんの作品は、キャンバスに平面構成的に描かれている油彩画で、10代の彼女がデビューした頃から一貫して変わらぬスタイルである。
 カメラで写した風景や人物をキャンバスの上に再構成した様にも思える独特の視線は、対象からの心地よい距離感を感じる。
 また、モチーフである若々しい人物達の顔には目鼻が描かれてないのも特徴だ。描かれてないだけに、作品に向き合う者はかえっていろいろな事を想像させられてしまうのだ。
 アートディレクションを勉強してきた司馬さんの客観性が、作品にオリジナリティー溢れる魅力を生み出しているのかもしれない。或いは元々の彼女の持ち味であり個性といったものが、作品の中にグラフィックデザインや映像的な世界観を反映しているのかも知れない。
 いずれにしても、アート、商業美術といったジャンルの枠を超えて、自由に一貫したスタイルで表現を続ける司馬さんの作品からは、若々しい力と息吹が伝わって来る。
 そして20代半ばの彼女の眼が捉え切りとったクールな世界からは、秘かに、隠された痛みの様なものを感じた。その様な事がとても大切なことに思えるのだ。
 豊かな感覚と、理性的な眼差し、とバランスの良い能力を合わせ持つ司馬さんのこれからの活躍がひじょうに楽しみだ。

 

 H&Hのアクセサリーは、女性たちの心をとらえる力を強く持ってる。それは、集客と売り上げ、という現実的な結果に現れ、画廊で油彩画やイラストレーション等の平面作品を発表する人々を羨ましがらせている。
 アクセサリー等の身につけるものや陶器やガラス工芸等、実際に使える物は、絵とは違って実際に買う習慣があるからだと思うが、この様な時代、人々の視線は厳しいので、やはり魅力のあるものしか売れていかないと思う。
 一昨年20周年を迎えた、彼女達の仕事をずっと長い間見続け、応援して下さる方々はとても多く、橋本さん、服部さん、二人の実力を物語っている。
 造形力とファッションセンス、ビジネス感覚、といった力がバランス良く合わさって、H&Hの個性を形作り、根強い人気を保ち続けているのだろう。


2009・1・12(月)

 今回の深谷良一さんの展覧会は、アイデアが浮んでから実現できる様になるまでに、実に数年間の年月を要しました。
 数年前の深谷さんの個展の時に、作品と一緒に遊び感覚で作られた何点かの絵付けされた陶芸作品も展示されたのですが、その時に受けた強い印象がずっと忘れられませんでした。
 私は陶芸に関して全くの素人なので、基本的な事も何も知りませんでしたが、とても伝わって来るものがありました。白生地に藍のごくシンプルな線描で描かれた魚や動物の絵が、生き生きとしていて、とても魅力的なのです。
 一方で、深谷さんの平面作品はすでに多くの人々の注目を集めていて、定期的に開催する展覧会には毎回深谷さんの作品を楽しみに来廊する顧客を徐々に増やし続けておりました。
 画材はアクリル絵の具ですが、日本的なモチーフを確かな筆力で表現される深谷さんの作品は、普遍的な日本絵画としての技量を備えていて、何か大きな可能性を感じさせられます。
 そしてその可能性のひとつとして、趣味の領域から一歩進んでの陶器への絵付け、ということを考えたのでしたが、考えるは易く実現はたいへんむずかしい道のりでした。
 陶器に絵を描く、と簡単に言っても、その陶器をどの様に調達するのか、という基本的な事柄からわからなかったのです。都内の陶芸関係の諸施設を調べていっても適切な所に辿り着けません。陶芸教室は多くあるのですが、実際にこちらに都合の良い陶芸工房など、東京近辺では出会う事はできませんでした。深谷さんも、とても積極的になっていらしたのですが、適当な工房が見つからず、諦めかけていました。
 陶芸の世界というのは、画廊にとりましてつい最近迄未知の分野でしたが、岡山市の画廊、ガレリア・プントの藪さんと知り合った事からつながりができて参りました。藪さんは、もちろん画廊ビジネスに長けた方でありますが、作家の様に純粋な気持を持っておられる方で、私は全幅の信頼を藪さんに寄せております。
 そして岡山といいますと、何と言いましても備前等の焼物の本場です。陶芸に関しましても藪さんのおっしゃることを聞いていれば間違いないと、本能的に感じました。
 最初に信楽焼の未来を担うと言われている上田光春さんを紹介して頂き、次に備前の天野智也さん、金重潤平さん、と、微妙に持ち味は異なるけれど、いずれも本当に優秀な方々の作品を展示する機会を持つことができました。備前焼や信楽焼の作家はとても多いけれど、その中から特にその世界を代表し、次代を担う様な作家の方々を紹介して頂き、幸運な事と思っております。
 既に二回展覧会を開き、気心の知れた上田光春さんに、深谷さんの陶器の絵付けの事を相談してみました。今迄に数多くハードルがあり過ぎて、半ば諦めながら伺ったのですが、上田さんのお弟子さんだった高橋昌人さんが、沼津に窯を開く事になったのでその方に教えて頂いてみるのはどうか、という話になりました。
 こうして、深谷さんは高橋昌人さんのお弟子さん、上田光春さんの孫弟子になったというわけなのです。
 高橋師のご指導の元、深谷画伯の絵柄も然ることながら、陶器自体の風合いも含めて、本当に楽しく魅力的なお皿や茶碗が出来上がりました。生地になる器自体が既に力のこもった物なのですから。
 いろいろな方の協力を得て、実現した今回の展覧会です。最初の試みなので、深谷さんの絵付けの技術は、まだ初心者段階なのですが、楽しそうな気分が伝わって来る様な作品ばかりです。
 たくさんの方々に見て頂きたいな、と思っております。
 また、これからも深谷さんがこの作業を続けられて、新しい世界を見せて下さることを、すでに待ち望んでいる方が沢山おられます。
 深谷さんは 一見寡黙な重厚な方に見えますが、立派なお仕事をなさる方に対して申し訳ない言い方なのですが、とても純粋で可愛らしい方です。そしてそんな意外性も深谷さんの人気の秘密かも知れません。

 

 

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